みなさんこんにちはADHD大学生ポコ(@pokopoko_ADHD)です
発達障害を持つ人が自身の症状を知る事の意味、凹凸の把握の本質について書いていきたいと思います。
毎度のことですが全て私の主観で書いています。
まず自分の特徴を知るのではなく受け入れる
タイトルを否定するようですが「自分のことを知る」のではなく、正確には自分のことを知り、受け入れることにあると思います。
かなりハードルの高いことだと思います。
今まで自分は周りの人と同じだと思っていたもの否定(全てではないですが)し、新しく0から自分を見ていかなくてはいけません。
これは既存の世界観を捨てて新たに構築していくというものです。もちろん一朝一夕でできることでもないです。
これがおそらく発達障害の辛い部分の大きなところなのではないでしょうか?
身の回りに自分と同じような人がいない…
今までのものを捨てて一人で暗闇の中を捜索しなくてはならない…
そう言ったことを乗り越えて健常者のスタートラインに立てるのではないかと…
(スタートラインに立てただけでここからも苦悩が多くあると思いますが)
私はまだ自分がやっとスタートラインに立てた段階だと思っているのであくまで想像ですが…
自分を責めなくなる
自己認識や自分の特徴を把握していると自己否定をしなくなります。
今までは出来ない、不得手な分野で健常者と競おうとしていましたが、自分のことがわかっていると変な話「諦めがつきます」
「この分野では自分は勝負にならない。」とその上で「自分のできるところ・得意な分野は何か?」と前向きに考えることができるようになるように思います。
『これは臭い物に蓋をする』や『見たくないものを見ない』ではなく、消去法的生存戦略と思ってください。決して「甘え」などではないのです。
発達障害を持つ人は「苦手だけどなんとかなる」という分野が極端に少ないためこう行った生き方に帰着するのだと思います。
社会の中での立ち回りが分かる
先にも書きましたが、自分の不得手が分かるとそこを避けようとします。(避けなくては生きていけません)
極端な話をするようですが、注意欠陥と空間認識が低い人がドライバーなんかやろうものなら人を轢き殺しかねません。
そういった不得手分野よりも得意分野、自分の興味のある分野に進もうとすることができます。
自己認識が不十分であるとこういった得手不得手すらわからないため、社会不適合を起こしてしまいます。
また自己把握が進むと自分の精神的、肉体的な疲労の上限値がわかってくるため鬱などの二次障害を予防することができます。
自分を知っているだけで人生を模索する中でのある程度の指向性を得られるのではないかと思います。