健常者に擬態できるADHDはかえって不幸なのではないか
みなさんこんにちはADHD大学生ポコ(@pokopoko_ADHD)です 。
私は自分のツイッターのプロフィールに「健常者に擬態するのは上手い方です」と書いている
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— ポコ (@pokopoko_ADHD) 2019年3月17日
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発達障害を持ちながらも健常者に擬態できるというのは長所であると自分でも思う反面、どうも不幸な一面もあるのではないかと思えてきたので適当に書き散らかしたいと思う。
そもそもなぜ擬態するのが上手いのか
これは私の動作性IQの高さによるものだと勝手に解釈しています。
動作性iqとはいわゆる作業系の能力のことで、見てたことを行動に移す能力や空間把握系の能力と言ったところです。
具体的な知能検査の項目(構成要素・下位項目)では、積み木模様、絵画配列、行列推移などがあります。他にいくつかあります。
上で勝手に解釈していますと言ったのには理由があって、自分が知能検査をした時は言語性IQの方が20ほど高かったのですが、どうも家族の意見や自分の生い立ちを考えると動作性優位な人間だろうと自他共に認識しています。
また、通院していた時にこのことをカウンセラーさんに聞いたところによると
鬱状態の時の知能検査では言語性の低下よりも動作性の低下の方が出やすいということを言われました。
なので、全知能指数や動作性iqが低く出てしまうかもしれない。と…
しかし、知能指数の下位項目の波形は大きく変わることはない(不得手な分野が実は得意分野だったということはない)と言われました。
もし、皆さんの中に知能検査を受けてその結果に凹んでいる人がいましたら『実際、数値は変動するものだからそんなに気にしなくていいよ』私は言いたいです。
知能検査を病院で受けているのであれば何かしらの悩みや症状があって、悶々としながら病院に伺っているのでしょう・・・
だとすれば多少低く出ても仕方のないものと思います。(専門家ではないのでにわかの意見ですが)
しかし、結果を受けて自分の中の不得手(凹部分)が数値として出たらその結果は真摯に受け止めるべきだと思います。その分野は悩みや鬱を抱えていようがいまいが自分の中での不得手であることには変わりません。
動作性の中でも符号一致?の分野が私は低く今でも物を覚えているのが苦手なため、
今になって思うと検査結果は信ぴょう性のあるものなのかな…と思います。
なぜ擬態がうまいと不幸なのか
これは気づかれないということにあると思います。動作性iqが運動能力と一致するかと言われればそうではないですが、小さい頃から運動はわりかし得意な部類でした。
運動ができると、周りからトロいと思われずに大きくなってしまうからです。
変な話ですが、走り方がおかしく走り回るような子は目立ちますが、足が速く走り回っていればそれはプラスに評価されてしまいます。
同じ多動性が抑えられていないだけなのに全く違う評価を受けてしまうと
ADHDの多動特性と混ざって障害の本質が見えなくなってしまっているという表現でしょうか?
なぜ擬態という言葉を使うのか
今回の記事でなぜ自分は肩を並べられるという言葉を使わないのか?と
それは本質的なスペックのバラツキについてを言及したかったからです。
肩を並べるという表現だと同じような、拮抗したようなイメージになりますが、擬態はそれに似せようとした結果にしか過ぎないということを言いたかったのです。
健常者のように見えても『障害』と名前がつくほどにできない分野がある。それがたまたま表面に出てこないところで評価されたから健常者のように見えるのだと・・・
逆も然りで『誰でも少しは障害を持っている』と言った言葉がありますよね。
本当にその通りで、人のどこを見るかによって評価が変わるということです。だからこそどこに身を置くか、何で勝負するかが重要なのでしょう・・・
またね