発達障害者への『そうは見えないよ』が何故当事者を傷つけるのか?|当事者、健常者の見解の相違
みなさんこんにちはADHD大学生ポコ(@pokopoko_ADHD)です
当事者が自身の発達障害を打ち明けた時に「そうは見えないよ」や「私もそういうところあるから大丈夫」と言ってしまうことがあると思います。
一見フォローに見えるこの言葉がなぜ当事者を傷つけることがあるのか?
「あたしブスだからさぁ~…」
「そんなことないよ!可愛いよぉ~」
「いや~マジで俺頭悪いからそういうの向いてないんだわ…」
「ゆーて、お前そんなことなくね?」
と言った男女の会話であればフォローになっている?ので相手を傷つけることはないでしょうが、どうして健常者がフォローしたつもりでも当事者を傷つけてしまうのでしょうか?
二つほど理由があるのではないかと思います。
一つは当事者が健常者に対して敵対意識を持っている。
敵対意識というとは言い過ぎかもしれませんが、嫌悪感?を抱いているケースはあると思います。
それは自分が人と違うため羨む心や自分を傷つけた人が健常者であるためそう言った感情を持ってしまっているのだと思います。
また、発達障害当事者は私のように人の心に鈍感な人と対照的にひどく繊細な人もいます。
そのため健常者の損得感情で人を決めたり、上下関係で人を見下すなどをする(する傾向)がある健常者に対して嫌悪感を抱いてしまっているケースもあるのではないかと思います。
(バリバリ個人的な偏見込みですが…)
もう一つは
当事者は発達障害と認定されて救われるケースがあるということです。
自分もこのタイプの人間ですが、自分が人と違うと認めてもらえると自分が肯定されたような感覚になるのです。
この感覚は不思議なもので、決して中二病を拗らせたわけではなく、今まで人との差に悩んでいた人間が急に外部の機関から正式に「違うぞ」と言われると今までの人生が肯定される?人生の伏線が回収される?違っていいと人生を肯定的に見れるようになる感覚です。
多分経験しないと分からない感覚なのですが、この感覚によって救われた当事者も多くいるのではないかと思います。
なので、健常者が当事者に「君はみんなと同じだよ」と励ましのつもりで言っても、当事者は自身の他者との違いを肯定して生きているのでフォローにならない(むしろせっかく納得がいったものを壊されるような感覚に襲われる)という点でのすれ違いが起こってしまっているのではないかと思います。
終始自分の勝手な考えを書き散らかしましたが読んでくださりありがとうございます