ADHD大学生ポコのブログ

発達障害、その他ほかに適当なことを書くブログ

発達障害当事者にも努力義務がある|配慮を求める上で最も重要な事

みなさんこんにちはADHD大学生ポコ(@pokopoko_ADHD)です

 

今年を振り返り不意に思った事を書きます。

最近は自分が発達障害(ADHD)と診断された頃に比べて「発達障害というものに対しての認識が広まったなぁ」と・・・

 

一方で「その認識に乖離がある。」とか「実際そんな簡単に理解できるものではない」という意見も見かけます。これについては仕方のないことなのではないかと個人的には思うのです。なんにでも価値観や認識が変わる時というのはどうしてもどこかで歪みが生じてしまうためです。

 

これから数年、5年くらいでしょうか?歪みを含んだ中で生活していくことになります。その中で重要になるのが当事者の「努力」なのではないかと思います。

 

このフレーズだけ聞くと某M岡さんみたいな感じですが、努力と言っても自己認識の義務?のようなものです(すみませんいい言葉が見つかりませんでした)

 

というのも世の中の認識と実際の症状に乖離がある状態かつ自己認識が進んでいない状態では社会が助ける力を持っていても助けることができないからです。発達障害というものは症状が他者から見えづらい障害です。何で困っているのかを健常者が認識するのはとても難しいことだと思います。

(発達障害当事者会に行ってみても発達障害者同士で具体的に何に困っているのかは話さなければわからないものです。)

 

この状態で配慮や助けを求めるには自分自身が自分自身の発達障害について詳しくなくてはなりません。ただ「困っているんだ!助けてくれ」ではなく「~~~という局面で***ができないから困ってるんだ」ということを言えるようにならなくては受けられる配慮も受けられないと思います。

 

と書いてはみたものの、弱小ブログのこの記事にたどり着いて読んでくれる人はおそらくある程度の認識がある方たちだと思うので果たしてこの記事の意味とは・・・といった虚無感に駆られてしまうというオチ

 

またね〜

 

 

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