ADHD大学生ポコのブログ

発達障害、その他ほかに適当なことを書くブログ

暑い夏を乗り切る発汗対策にはこれでOK|ストラテラ服用時の発汗対策

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みなさんこんにちはADHD大学生ポコ(@pokopoko_ADHD)です。

 

梅雨入ってないのにこの暑さ…

今年も夏が張り切り過ぎているわけですが、夏といえば海、花火、アイスなどとポジティブに考え…

 

夏といえば湿度ですね。

 

私の経験談なのですが、ADHDの薬ストラテラの副作用で発汗というのがあります。

暑い時期、常に風呂上がりみたいな汗をかいてしまいます。

 

今回はそんな汗に対抗するための道具を紹介します。

 

 

湿度は外にいる間はどうしようもない…

温暖湿潤気候を恨みましょう

 

汗はある程度なら対策可能です。

対策は大きく分けて2つです。

 

かいた汗を処理する

汗をかかないようにする

 

 

かいた汗を処理する

いわゆる制汗スプレーや制汗シートというやつです。みなさんよく使っているのではないでしょうか?

 

今回紹介したいのは汗をかかないようにするツールです。

 

もったいぶらずに書くとこれです。

 

汗止め帯 

 

汗止めベルトです

 

 

使用した感想

今はストラテラを服用していないのであまり着用していませんが、服用期間中使ってみて私の場合は効果があるように感じました。

(全く出なくなるということはありませんでした…ただ、びしょ濡れ風呂上がり状態からじわっと出てくる汗程度に落ち着いたといった感じです。発汗量を軽減する効果はあるものの全く出なくなるわけではないので購入する際はあまり過度な期待しない方がいいかもしれません)

 

アマゾンのカスタマーレビューを見てみると合う人と合わない人(全く効果がなかった人も…)がいるみたいなので全員が全員汗が止まるというわけではなさそうです…

 

汗止め帯自体結構な値段するので購入する際はちょっと勇気がいるかもしれません。(学生目線)

 

おもってたよりも大きかった…

私は胸囲がないため、最初はMサイズを購入しましたがきつく締めることができず、対策としてこのように縫って使っています。

 

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後々Sサイズのものも購入しました。

 

やはり使うときは少しキツめくらいの方が良いと思います。

 

長時間の使用はダメ

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上で書いたように長時間きつめに締めていると、この突起物の部分が強く肌にめり込んであざができてしまいます。

使用する際は外に出るとき、移動するときだけにして室内に着いたら外しましょう。

 

使用頻度や長時間使用をしなければ体に害はないそうです。

 

注意!洗濯する時は絶対にネットに入れてから洗濯してください

 

それでは憂鬱を頑張って乗り切りましょう…

 

…私は夏を憂鬱と捉えているのですが、季節のうち夏だけが『終わる』と表現しますよね

 

皆さんは夏が好きなのでしょうか…???

 

がっつり商品紹介の記事になってしまいました・・・ 

ADHDが特別選考枠で偏差値70以上の高校に入学した結果…

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みなさんこんにちはADHD大学生ポコ(@pokopoko_ADHD)です

 

ADHD、注意欠陥多動性障害、宿題できない、提出できない、集中できない、暗記できない、ケアレスミス多い…

といったようにお勉強とは縁のないような症状を持っているのですが、なんの手違いか高学歴を手に入れてしまった人間の末路を失敗談を中心に綴っていきたいと思います。

 

一概に「ADHDが勉強ができない」というわけではなく、症状の軽い人の場合勉強が得意な方もいるみたいです。

 

 

 

 

なぜ合格することができたのか

合格したのは公立高校

 

ADHDの例によって、学校の授業の話が聞けず模試の成績は良くても学校の先生からは好かれないというような生徒でした。

成績評価には『関心、意欲、態度』という項目があり、いくら期末で点を取っても、成績に5はつきませんでした。

 

私が受験をしたのが6年前、現在は無くなってしまっているそうなのですが当時は特別選考枠というのが存在しました。

おそらく私はこの枠で合格しています。

 

特別選考枠とは

公立高校は一般的に中学校の内申点を点数化したものと本番のテストの点を足して合否を出します。

この計算方法で一般受験の合格者の9割を決めます。

残りの1割の人間を上の計算方法で不合格になった人のうち、本番の点数のみを見て高い人から決めます。

 

この1割が特別選考枠というわけです。

 

つまり特別選考枠では極端な話、内申点がオール1でも本番の点数がよければ合格できるというシステムです。

 

また、高校受験というものが、知らないと解けないという問題が少ないということも合格に繋がったと思います。特に数学で実感しました。

極端な話、ピタゴラスの定理さえ知っていればあとは補助線の工夫でどうにかなっていたという印象です。

 

大学受験では知らないと解けないという問題が多く存在します。つまり、知っているか知っていないかで決まる。知識の量、勉強時間に比例するという問題が多くなりました。後々、大学受験ではこれに苦労しました。

 

 

高校に入ってからの場違い感

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勉強に対する意識の違いと学校事業に対する意識の違いを痛感しました。

 

公立高校で偏差値70越えとなると、内申点がオール5の人がそこら中にいます。

もちろん意識が高いわけです。

 

そんな中にぶち込まれたADHD…

宿題はやらん、話は聞かん、学校行事に無気力!

 

言わなくてもわかってしまうと思いますが、浮きます

 

馴染めないことも辛かったですが、自分の中で期待を裏切られたような気がして辛かったです。

 

中学まで自分と似たような人間がいなかったため、『高校に入れば同じようなレベルで同じようなこと考えている人が沢山いるだろう』と思っていました。

 

しかし入ってみたらどうでしょうか?

中学の時より悪化しました…

自分と正反対のキッチリ、真面目な人間ばかりでカルチャーショックを受けました。というよりかはアイデンティティの崩壊です。

 

しかも、勉強でも興味のない科目の期末の点数が悪すぎるため、先生が自分のことが嫌われてしまっているのではないかと思ったらしく『ポコ君、私のことが気に入らないですか?』と職員室呼び出され、深刻そうな顔つきで言われたのを今でも覚えています。

 

それほどまでに、出来不出来の差が激しく周りの子より目立ってしまっていたのでしょう…

 

これらの馴染めなかったという要因と大学受験が重なりのちに鬱になりました…

 

受験勉強の本質

よく言われていることだと思いますが、受験の本質は計画的努力(暗記)の積み重ねが問われているのだと思います。

 

これは運良く(悪く)高校受験で成功し、のちに大学受験で鬱になるという失敗をしたから言えることだと思います。

本来高校受験で試されていた継続的に努力することを怠っていたにもかかわらず、受験システムのおかげで合格できてしまったため本質がわからずじまいでした。

 

綺麗事のようですが、みなさんは学歴という結果を追いがちですが、その途中経過である継続的に努力できたというものそのものに価値があるのだと思います。

 

 

最後に

上では途中経過である継続的努力に意味があるといっていますが、どうも就活・就職においては結果が全てのように思えます。(聞いた話ですが・・・)

 

人生においては継続的努力をしたことに意味があるというのは否定しませんが、学校自体を就職予備校と捉えた場合、そうでもないのかな…と思う次第です。

 

加えて、もちろん高校受験で勉強はしました。上の文を読み返すと全く勉強してなかったように書いていますが、秋からはかなり勉強したのを覚えています。内申点の重要性に気づいてからメチャクチャ焦って勉強してました。

 

という一言足りなかったところを加えたところで、終わりたいと思います。

 

またね

 

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いつから『生』を実感できなくなってしまったのだろうか・・・昔の全力疾走感はどこへ?

みなさんこんにちはADHD大学生ポコ(@pokopoko_ADHD)です

 

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最近の深刻な悩みなのですが・・・

 

21歳にしてこの人生の閉塞感・・・

これはおそらく50歳の方の言う閉塞感とはまた違った意味合いなのではないかと思います。

また、の時の閉塞感とも違った閉塞感

 

可能性とか人生の広がりとかではなく、感性の問題なのだと思うのですが、何を見ても心が動かないのです。

陽炎のように像が揺らいでいるように見えても実際は揺らいでないといったように…

 

学校、勉強、バイト、人間関係それら全てが全てが惰性のように思えて仕方ない…

 

小学生の頃のような全力疾走感は何処へ行ってしまったのでしょうか…

 

を見ればを実感できるのかなと思い、グロい画像とか見てみるのですが特に生を実感することもないのです。

 

今の世の中ではなかなか死を実感する機会がないため、『生を実感できない』などという戯言を言う輩が出てくるのでしょうね

(*´-ω・)ン?

 

もしくは可能性が大きすぎるゆえの副作用かもしれません。

 

死ぬことはないと同時に、生きていくために必要なお金を稼ぐ手段が多すぎる。

一昔前までは、企業に勤めて死ぬまで働くという明確なレールが存在したわけなのですが、今は良くも悪くも不安定。どんなに大きい企業でも10年後存在するかも分からないという現状。

 

むしろ、会社を辞めて今流行りのYouTubeやらなんやらで稼ぐことだって可能だと…

 

 

そうなってくると可能性の大きさゆえに自分の取捨選択の正しさを吟味することができなくなってしまうといことになります。

 

二択であれば是非がわかる(どっちがマシかわかる)と思いますが、選択肢が100や1,000あったらどうでしょうか?

 

何が『より』良い選択なのかの区別ができなくなってしまいます…

 

『なんとでもなる』『とりあえず生きていけるだろう』という漠然とした考え方が、『生』の感覚を奪っているのではないかと考えてしまいます。

 

まあ、ぐだぐだ考えたところで問題解決にならないというのが感性の問題ですね・・・

 

とりあえず時間があったので書き散らかしてみました。

 

もしよければ、『何をしている時に生きていると実感するか』をコメントしていただけると嬉しいです。

*恋愛系は禁止で!!

 

恋愛の感覚がわからないので・・・

 (;゚;ω;゚;)

またね。

 

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カウンセリングを考えてる人!カウンセラーよりも友達作った方がいいですよ

みなさんこんにちはADHD大学生ポコ(@pokopoko_ADHD)です

久しぶりの発達障害関連の記事…

学校が始まり、移動時間が増えてきたので書いていきたいと思います。

 

 

カウンセラーよりも友達を作るべき理由

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お金がかかる

とにかくお金がかかる‼︎

 

私の場合7000円前後だったと思います。(50分)

これでも比較的安い方だと思います。

これに加えて、主治医の診察料、薬(ストラテラ代)がかかっていたためその金額は大きいものに…

 

金額の問題もそうなのですが、コストパフォーマンスも重要だと思います。

 

はっきり言ってコストに見合うものではないと私は思っています。

 

話し合う中で自分で知っている知識の重複、自分の状態を把握してもらうための会話などがあり、50分をフルに使えているか?という問いに対してはおそらくその半分もないくらいだと思っています。

 

もちろん、知っている知識や把握している症状でも第三者から言われることによって改めて気付くこともあると思うので、そう言った点を含めれば有意義な時間は増えると思います。

 

後述する内容もコストに見合わないと思う点の一つです。

 

 

全て肯定される

基本的にカウンセリングに通う時は、心身ともに衰弱している(なんらかの問題を抱えている)ケースがほとんどかと思います。

 

鬱や落ち込んでいる時は視野狭窄的になりがちです。一点ばかりを見過ぎていて大局を見失いがちです。

 

そう言ったときに、その人の行いや、経歴、判断を肯定することで視野の広がりを保つというのが目的なのかと思います。(勝手な判断)

 

しかし、時にはキツくても厳しい意見をもらいたい時があるとおもいます。

特に重要な判断を下す時です。

 

カウンセリングではそう言った厳しい意見をもらいたいときでも、基本全て肯定されます。

 

肯定に心地よさを覚える人もいるでしょうが、「否定もされるからこそ肯定に価値がある」と思っちゃってた人間なので全肯定には違和感がありましたし、なんというか…

痒いところに手が届かない、何か足りないような感じがしました。

 

これは私のメンタルが割と復活してきているからカウンセリングの際に思ったことなのかもしれません。

 

そう考えるとカウンセリングは成功しているし、価値のあるものだと思いますが…

卵が先か鶏が先か…

今となってはわからないです…

 

 

友達はバリバリ否定する

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友の利点として、すでに自分のことを知っているということが挙げられると思います。

 

発達障害ということも知らないですし、そう言った知識も皆無と言っても過言でない。

 

ですが、『ポコ』という『人』を元から知っているということはとても重要で、カウンセリングでは語流ことができない・語りきれないことも知っています。

 

自己紹介がいらないと・・・

 

 

しかも、私の意見をバリバリに否定してくれたり、ボロクソに肯定したりします。

 

先にも書いたように視野狭窄的になっている時に、がっつり否定されると思考にブレーキのように一度立ち止まって考え直すことができます。

 

これは肯定だけではできないことだと思いますし、重要なことでもあると思います。

まあ、時には否定されて萎えますが

 

実際友達を作るのは難しい

最後に悲しいこと言って終わりますが…

 

カウンセリングに行くのにはこの問題があるからかと思います。

もちろん、友だからといって全てを打ち明けているわけではないので、話しにくい内容をカウンセリングで相談するという点もあるでしょう。

 

言いたいことは、否定し合えるような人を身の回りに作っておくといいよという内容でした。

 

タラタ1000文字以上書いていますが、結局これだけです

 

またね

 

 

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発達障害と診断されたらやること|立ち直るには・・・

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みなさんこんにちはADHD大学生ポコ(@pokopoko_ADHD)です

 

今回は自分の体験談や後悔とともに発達障害と診断されたらまずやるべきと『思う』ことを書いていきたいと思います。

 

 

休息をとる

診断を受けたということは自分と周囲に何かしらの違和感や問題を抱えて病院に行ったことと思います。発達障害の2次障害による鬱などによって診断を決めたのかもしれません。

 

自分では気づいていないですが、心身ともに疲れています。

休憩をとりましょう。

診断を受けておしまいではありません。

 

診断を受けてからの方がむしろ辛いことがあるかもしれません。

見えない壁が見えることによる自己嫌悪感がやってきたり、超えられない壁が見えることによって挫折することもあることと思います。

一度休憩をとりましょう…

 

本やブログで経験談をよむ

(知識を入れる)

診断されてから自己理解を進めていくのに知識は必要不可欠です。

 

これはできれば次の項目(当事者会に参加してみる)と並行してやることをお勧めします。

私は診断された当時浪人生だったということもあり、交流会などに行けず、本・ブログなどで情報を得て自分なりに自分の理解に努めました。

これは結果的にあまり良くなかったと思っています。というのもやはり認知バイアスというようなものなのでしょうか・・・

 

周りの自分と同じ発達障害者も自分と似たような症状、スペックで苦しんでいると思っていたら実は全く違った。ということを受験が終わって初めて当事者会に参加して気付きました。

 

もちろん知識や経験談を自分の中にストックしていくことは重要ですが、頭でっかちにならないように!!

 

 

当事者会に参加してみる

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上の『本やブログで経験談をよむ』にも書きましたが、発達障害の症状の多様性には驚きます。

自分と似たような経歴や学歴でも困っていることや、その対策方法などが異なります。当事者と話しても参考になる部分もあれば、、全く参考にならないなんてことも・・・

 

そのため、自分に似た人間を探しに行って会えない・・・

自分はマイノリティの中でもハブられたような感覚になることもあるかと思います。

 

大丈夫です!!!

私もそう感じました・・・

(;゚;ω;゚;)

ですので、共感者や自分に似た人がいなくてもあまり疎外感を感じないでください。おそらく多かれ少なかれみんな疎外感を感じているのだと思います。

だからこそ『合う』人に会った時に話しが弾むのだと見ていて思います。

 

今こうやってブログを書いているから言えることなのですが、「当事者同士でも参考にならないこと」が参考になります

 

結局自分は自分で理解していくしかないですね・・・ 

 

薬を飲んでみる

この「薬」の件としたの「手帳」の件に関しては、意見が大きく分かれますし私自身書こうか迷ったくらい選択が難しいです。(というか複雑です)なので以下の二つの項目は「選択肢の提示」程度に考えてください

 

診断を受けた理由は人それぞれだと思いますが、認定を受けたメリットの一つとして薬の処方があります。

 

一般では手に入らないような劇薬を使うことができるようになります。ADHDの場合であればストラテラやコンサータ・インチュニブ?などでしょうか。(インチュニブについては知っているくらいなので、どういったものかもわかりません・・・すみません)

 

薬の効果や副作用に関しては以下の記事を参考にしてください。

とはいっても私はストラテラ服用経験しかありませんが・・・

 

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これはあくまで個人的な考えなので参考にして欲しくはないのですが

これから薬の服用を考えている方、できれば一度薬を飲んでみてもといいと思っています。(結果的に飲み続けなくても)

 

私も今は薬を飲んでいないですが、本当に行き詰まった時の救済処置として『自分には薬がある』と思えることで心の持ち様が大きく変わりました。

なので、くどいですが自分に薬が合う合わないを含めて一度服用してみることをお勧めします。

 

 

障害者手帳を取得する

私は手帳を取得していません。

私は取得していません。

 

取得していないのには、やはり周りの偏見が怖いというのが大きな理由です。周りの人間もそうですが自分自身も・・・

単純にこれが強いため手帳は取得していません。

 

手帳を受けることにはもちろんメリットもあります。公共交通料金が安くなったりします。映画館も割安になったり美術館とかもそうだったかなぁ・・・

 

自分が持っていないためかなり情報量が少ないです。

 

1つだけ言いたいことは、手帳は診断されてから「はいっ」とすぐに取れるものではなく、精神科、心療内科の初診から6ヶ月経過していないと申請できないです。これだけは覚えておいてください。

 

 

 

まとめ

最初にも書きましたがこれらはあくまで「私の」やるべきと思うことです。

 

診断された時の身体的状況、精神的状況、社会的な立場など色々あると思います。

なので今まで書いてきたことを否定するようですがやりたいと思ったことをやりたいと思った順番にやりながら自分自身の症状を把握していくのが一番かと思います。

 

 

またね

 

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人は「曖昧」に心地よさを感じるのかもしれない

 

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みなさんこんにちはADHD大学生ポコ(@pokopoko_ADHD)です

 

物事は必ずしも白黒つける必要はないのではないか?

 

 

曖昧とは

1つの表現や文字列、項目などが2つ以上の意味にとれること、もしくは、周辺が不明瞭なことである。

wikiより

 

とあるのですが、人は曖昧さに心地よさを覚えるのではないかと思う。

 

人生における曖昧さとは可能性

 

wikiにもある通り、不明瞭なことを曖昧という不明瞭とは決まっていない、定かではないことをいう

 

 

もし自分の寿命を知ってしまったらどうだろうか?

 

もし自分の能力の限界を知ってしまったらどうだろうか?

 

もし自分の運命を知ってしまったらどうだろうか?

 

どれも知りたいが知りたくないものである。

 

それは「知ってしまう」という行為が自分の中の可能性を潰すのではないか?という不安がそうさせるのではないかと思う。

仮に寿命などが決まっていたとしても…

 

 

今の社会が異常なのかも

 

勝手な想像ですが、人は曖昧なものに囲まれて生きてきた(はず)だと思います。

狩猟採集時代では「生きる」ということに対しても曖昧だったように思えます。

 

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食にありつけるか、動物を捕まえられるか、作物が収穫できるまで大きくなるか

これらは天候だったり運が大きく作用してくるため「生命の維持」というものが曖昧なものだったように思います。

言い換えればいつでも死と隣り合わせな生活を送っていたということです。

 

対して現代はどうでしょうか?

全体的な動きとして曖昧さの排除を強く感じます。

 

お店に行くたびに毎回野菜の値段が大きく変わっていたらどうでしょうか?

不安を覚えますよね・・・

 

仕事では任された課題の期日が不明確だったらどうでしょう。明日かもしれないし1ヶ月後かもしれないと・・

 

こちらも不安になるはずです。

 

本来、曖昧さの中で曖昧さを享受しながら生きてきた動物がここ数百年で曖昧さを積極的に排除するような生活を送っている。

これは大きくなった社会というシステムを維持するために仕方のないことだと思いますが、変化があまりにも急すぎるような気もします。

 

だからこそ仕事で「追われる」ことに対してストレスを強く感じるのでしょう

 

 

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強引に発達障害と結びつけてみる

発達障害を持っている人は、限界を目の当たりにしてしまう。(限界が「明確に」なってしまう)

 

それは社会や人の輪の中で起こるものでもあるが、自分自身の中でスペックの差が大きすぎると光る部分も不得手分野が足を引っ張ってしまう。

 

よく言う発達障害の二面性のようなものでしょう。

上手く自分の能力を活用できれば人並み以上に成果を出せる反面、苦手な分野に頭を突っ込んでしまうとにっちもさっちも行かなくなってしまう・・・

 

光が強ければ影も濃く出てしまう

 

この限界を知ってしまうというものが発達障害を持つ人の不幸な理由なのではないでしょうか?

現状の限界ではなく、一個体としての限界

 

陸上選手になりたくて、精一杯練習しても『神』から11秒を切ることはできないと告げられたらどうでしょうか?

 

相対的な限界とかではなく絶対的な限界です。

「就職に受からない」とか「受験に失敗した」とかの努力次第では〜と言った限界とは異なるもの

 

正直辛いものがあります。

 

ただ一方で低すぎるスペックがあるがゆえに、自分の苦手分野を「はっきり」と知ることができます。

 

これも双方の見方ができるもので、限界を知りたくないが知っているがゆえの「強み」もあるということです。

上にも書きましたが大きすぎる社会システムゆえ、どんな凸凹なスペックを持っていてもハマる場所はあるはずです。

 

なのですが・・・

現在の日本の社会を見ていると、発達障害に対する認知(知っているではなく分かっている)が遅れているため

「明確さ」を求める社会から知り得た『限界』「曖昧」になってしまっているのが今の問題のように私は思います。

 

 

と強引に自分のブログのメインコンテンツである発達障害に結びつけてみたのですが・・・

「結びつけない方がまとまりがあってよかったなぁ〜」と思う次第です。

余計なことしましたけど、削除するのも勿体無いのでこのまま更新します。

 

 

またね

 


 

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口癖考察|私が「まあ結局は」や「どうせ」を使う理由

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みなさんこんにちはADHD大学生ポコ(@pokopoko_ADHD)です

 

自分の口癖考察ということで今回は「まあ結局は」と「どうせ」について

 

同じような口癖の人多いかもしれません。私はこういった理由で使ってるかも?という理由があればコメントください。

 

自分以外の人の口癖やその理由に興味があります。

 

 

自分に自信がない

 

鬱になったり、受験に失敗して自信がなくなっているのかもしれないです…

この鬱の記事では自己肯定感が回復した的なこと言っておりますが、根深く自己嫌悪感のようなものがまだ残っているのかもしれません。

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もしかしたら一生取れないのかも…

自分の限界というものを知った

 

自分はADHDという障害を持っていて、大学受験で自分のどうしても越えられない壁というものを知ってしまった。

 

「限界を知った」というと軽く聞こえてしまうかもしれませんが、感じたという表現の方が正しいかもしれません。

 

みんな自分に限界があることは知っているはずなのですが、どうもその限界を曖昧にしたがる、している方が心地よい・希望を持てて精神的に安定するように思えます。

 

なんというかどうしても越えられない壁というか能力の限界を感じてしまうと運命決定論的な思想になってしまうのでしょうか?

 

大富豪でジャック(11)以上がなく、革命も起こせないと・・・

運と立ち回り次第では大貧民は避けれるけど、まず大富豪・富豪にはなれない。

 

そうなると「いかにして最下位を免れるか」と考えてしまう。

これを人が言うところのネガティヴ思考と言うやつなのでしょう

 

人生もそんなものなのかと・・・

『なるようにしかならない』

持って生まれた札によって限界があるのだと

 

どうせ、なるようにしかならない

まあ結局、結果は決まってるのかもな…と

 

思えるようになってしまったのかと思います。

 

 

この口は癖良くない

上で大富豪を例にあげて悲観的なことを書いてますが、人生は大富豪ほど単純ではないように思います。

 

なので暫定的に知りえている自分のスペックによって人生を悲観視するべきではないと

 

神や霊的なものを信じているわけではないですが、言霊というものはある意味存在するかと思います。

(もちろん神や霊的なものの存在を否定もしません)

 

自分で自分に言い聞かせてしまっている。

ピグマリオン効果という心理学の用語があります(教育学だったかもしれません)

ガバガバリサーチで申し訳ない

 

「先生の生徒に対する期待によって生徒の成績が異なってくること」という内容だったような気がします。もちろん期待が大きければ成績も良くなる。

 

これを自分自身でやってしまっている。「どうせ」と言うことによって自分自身で自分自身の可能性を潰しているのかも・・・

 

ビックマウスな本田圭佑選手は自分を奮い立たせるために、敢えてインタビューで大きなことを言っているというのを聞いたことがあります。

 

完全に自分とは真逆の存在ですね・・・

 

ここまではいかなくても、「どうせ」を「きっと」とかにできれば変わってくるのでしょうか???

 

またね

 

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