ADHDが特別選考枠で偏差値70以上の高校に入学した結果…
みなさんこんにちはADHD大学生ポコ(@pokopoko_ADHD)です
ADHD、注意欠陥多動性障害、宿題できない、提出できない、集中できない、暗記できない、ケアレスミス多い…
といったようにお勉強とは縁のないような症状を持っているのですが、なんの手違いか高学歴を手に入れてしまった人間の末路を失敗談を中心に綴っていきたいと思います。
一概に「ADHDが勉強ができない」というわけではなく、症状の軽い人の場合勉強が得意な方もいるみたいです。
なぜ合格することができたのか
合格したのは公立高校
ADHDの例によって、学校の授業の話が聞けず模試の成績は良くても学校の先生からは好かれないというような生徒でした。
成績評価には『関心、意欲、態度』という項目があり、いくら期末で点を取っても、成績に5はつきませんでした。
私が受験をしたのが6年前、現在は無くなってしまっているそうなのですが当時は特別選考枠というのが存在しました。
おそらく私はこの枠で合格しています。
特別選考枠とは
公立高校は一般的に中学校の内申点を点数化したものと本番のテストの点を足して合否を出します。
この計算方法で一般受験の合格者の9割を決めます。
残りの1割の人間を上の計算方法で不合格になった人のうち、本番の点数のみを見て高い人から決めます。
この1割が特別選考枠というわけです。
つまり特別選考枠では極端な話、内申点がオール1でも本番の点数がよければ合格できるというシステムです。
また、高校受験というものが、知らないと解けないという問題が少ないということも合格に繋がったと思います。特に数学で実感しました。
極端な話、ピタゴラスの定理さえ知っていればあとは補助線の工夫でどうにかなっていたという印象です。
大学受験では知らないと解けないという問題が多く存在します。つまり、知っているか知っていないかで決まる。知識の量、勉強時間に比例するという問題が多くなりました。後々、大学受験ではこれに苦労しました。
高校に入ってからの場違い感
勉強に対する意識の違いと学校事業に対する意識の違いを痛感しました。
公立高校で偏差値70越えとなると、内申点がオール5の人がそこら中にいます。
もちろん意識が高いわけです。
そんな中にぶち込まれたADHD…
宿題はやらん、話は聞かん、学校行事に無気力!
言わなくてもわかってしまうと思いますが、浮きます。
馴染めないことも辛かったですが、自分の中で期待を裏切られたような気がして辛かったです。
中学まで自分と似たような人間がいなかったため、『高校に入れば同じようなレベルで同じようなこと考えている人が沢山いるだろう』と思っていました。
しかし入ってみたらどうでしょうか?
中学の時より悪化しました…
自分と正反対のキッチリ、真面目な人間ばかりでカルチャーショックを受けました。というよりかはアイデンティティの崩壊です。
しかも、勉強でも興味のない科目の期末の点数が悪すぎるため、先生が自分のことが嫌われてしまっているのではないかと思ったらしく『ポコ君、私のことが気に入らないですか?』と職員室呼び出され、深刻そうな顔つきで言われたのを今でも覚えています。
それほどまでに、出来不出来の差が激しく周りの子より目立ってしまっていたのでしょう…
これらの馴染めなかったという要因と大学受験が重なりのちに鬱になりました…
受験勉強の本質
よく言われていることだと思いますが、受験の本質は計画的努力(暗記)の積み重ねが問われているのだと思います。
これは運良く(悪く)高校受験で成功し、のちに大学受験で鬱になるという失敗をしたから言えることだと思います。
本来高校受験で試されていた継続的に努力することを怠っていたにもかかわらず、受験システムのおかげで合格できてしまったため本質がわからずじまいでした。
綺麗事のようですが、みなさんは学歴という結果を追いがちですが、その途中経過である継続的に努力できたというものそのものに価値があるのだと思います。
最後に
上では途中経過である継続的努力に意味があるといっていますが、どうも就活・就職においては結果が全てのように思えます。(聞いた話ですが・・・)
人生においては継続的努力をしたことに意味があるというのは否定しませんが、学校自体を就職予備校と捉えた場合、そうでもないのかな…と思う次第です。
加えて、もちろん高校受験で勉強はしました。上の文を読み返すと全く勉強してなかったように書いていますが、秋からはかなり勉強したのを覚えています。内申点の重要性に気づいてからメチャクチャ焦って勉強してました。
という一言足りなかったところを加えたところで、終わりたいと思います。
またね