ADHDは「やらなきゃ」と「やりたい」の区別がつかない。|矛盾と不幸な理由
みなさんこんにちはADHD大学生ポコ(@pokopoko_ADHD)です。
大学生という立場で他のADHDの方をを見ていると、どうも「大学生活でまともに生活するのは難しすぎる」「大学で単位を取るのは鬼すぎる」という書き込みを見るのですが、個人的に高校の方が圧倒的に厳しかったと思い、そこからの派生でこんな記事を書いています。
「高校の方が厳しい」の理由としては当たり前のように8時半には学校にいなくては行けなかったし、任意参加ではなく強制参加の体育祭、文化祭etc…
体育祭などは百歩譲って良いとして、8時半には学校にいなくては行けない!!
7時起き確定の地獄
からの6コマ分の授業…
しかも週5
どこが高校の方が楽なのでしょうか?
それに比べて大学はレポートとぼっちになりやすいこと以外に高校より厳しいことはないです。
(この二つが割と致命的という話は置いておきます)
では何故高校の方が楽とみなさんは口を揃えて言うのか?
それは自由度にあるのではないか思います。
大学は高校に比べてやらなくては行けないことが少なく、自由度が高いです。
一見よく見えるこの差がADHDにとって毒になってしまっていると思います。
その理由の1つとしてタイトルにある
ADHDは「やらなきゃ」と「やりたい」の区別がつかない。というものです。
正確には「つかない」というよりかは「付きにくい」
上書き保存されてしまうためやらなくてはならないことが見えなくなるというもの。
そこには衝動性や計画性の欠如が関わっていて、ADHDの特徴、先天的な要因が大きいためどうしようもない部類の問題だと個人的には思っています。
では、ADHDはみな「やりたいこと」を貫けば良いのではないか?と
世の中なかなかそう上手くいかないのです…
基本的にものごとは4つに分けることができ
やりたいことかつできること
やりたいことでもできないこと
やりたくないでもできること
やりたくないことかつできないこと
いわゆる健常者であれば『やりたいことを貫く』Be-Do-Haveを貫くと良い!!みたいなところあると思いますが、発達障害を持っているとそうもいきません。
偏見ですが…
やりたくても自分のスペックの凹の部分であれば全く出来ないですし、やりたくなくても凸の部分であればできることもある。
つまり社会の中にいる限り『やりたいこと』をから考えるのではなく、『できること』から考えなくてはいけないのです。
これがADHDの幸福度が低い所以かと私は思います。
・・・・
現状はもっと悲惨なもので、発達障害に対する認知が広まっていないため、自分ができることすら把握できていないというのが今の日本の状態かと思います。
_:(´ཀ`」 ∠):
またね~