みなさんこんにちはADHD大学生ポコ(@pokopoko_ADHD)です。
この前書いた淘汰圧を書いてて後日思ったのですが、生物でなくて我々が用いる言語間の淘汰とかってどうなのだろうと思いました。「自分は専門家でもなく、専門的な知識のない人間です」
もちろん自分の中での答えも出ていません。考えていることを書き散らかしただけです。
言語のランキング[人数]
中国語
スペイン語
英語
アラビア語
ヒンディー語
となっているみたいです
中国語が圧倒的ですね。
言語における優位性的なものってなんでしょうか?使用する文字数?使用している人数?使用している国の経済力?
近年、科学技術の進歩によっていわゆる「世界は小さく」なっています。当然今まで出会いもしなかった言語同士が頻繁に会うことになります。この前書いた生物間での淘汰であれば同じ場所に似たような種があれば互いに競い合うはずですが、言語の場合はどうなのでしょうか?
言語を生物と同じようにみる
すると行き着く先は、最も強い言語が残りそれを皆が使う。
もしくはどの言語でもない言語を話す。(混合)
に行き着くのではないかと…
言語を道具としてみる
するとある程度の淘汰ののちに多種多様な言語が残るのではないかと思います。
包丁、カッター、ハサミ、鎌・・・などなど
切るための道具がいくつもあるのと同じですね。その使う場所や文化によって適応した形のものが残るといった感じでしょうか。
自分はおそらく、道具のような形で淘汰?変化が起こるのではないかと思います。
昔聞いたことあることなのですが、「科学技術的な背景を除けば、文化、言語にはどの民族、部族を比べてもあまり優劣の差が見られない」と。
まぁ、色々とこんな感じで考えていたのですが、方言とかのことを考えるとキリがないかなぁと…
中国語とか北京語と広州語だったかな?では全く認識できないほど違っているということを聞きます。それを別言語ととらえるか、とらえないかとかも考えるといつまでたっても分からなくなりそうなので、このあたりでやめときます。
書き散らかしてまとめないという新しいスタイル!!
ADHDのブログらしくてある意味良いのかなと思います。(すみません)
本来開き直っていいところではないですが・・・
近いうちにこのブログの作成スタイル・モットーのようなものをまとめたいと思います。
散らかしっぱなしですが、このあたりで!
またね